佐賀県は、九州の北西部に位置し、面積約2,400km2で、東は福岡県、西は長崎県に接し、北は玄界灘、南は有明海に面している。10市10町から構成され、県庁所在地は佐賀市である。県名の由来は、「日本武尊が御巡幸の時、樟の栄え繁る有様を見られ、この国は『栄の国』と呼ぶがよかろう、とおっしゃった。その後『栄の郡』といい、改めて佐嘉郡と呼ぶようになった」と肥前風土記にある。
 県の北西部はリアス式海岸と砂浜の玄界灘、南東部は干潟と干拓地の有明海という、海岸の様子が全く異なる2つの海に接している。有明海沿岸から筑後川沿いには佐賀平野が広がり、玄界灘から佐賀平野西部までは杵島丘陵などの丘陵地帯である。北東部に脊振山地、南西部に多良岳山系あり丘陵地帯を挟んでいる。県中央部に連なる天山山系を境として、北部は日本海型気候、南部は内陸型気候に大きく分けられる。年間平均気温は16℃前後の地域が多く、全般的に穏やかである。
 県内には、希少生物の生息する有明海をはじめ、虹ノ松原、鏡山、七ツ釜などの景勝地のほか、吉野ケ里遺跡、嬉野温泉に加えて、「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」や「鹿島ガタリンピック」など個性的なイベントも存在する。

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佐賀県内の資源一覧

有田焼窯元群の写真

写真提供:有田観光協会

有田焼窯元群 ( 佐賀県 有田町 )

有田は日本有数の磁器の産地。17世紀の初めに、朝鮮人陶工・李参平が泉山で陶石を発見したことに始まり、2016(平成28)年に有田焼創業400年を迎えた。町内に約100の窯があるが、県道281号沿いに展示即売する店が軒を連ねる。代表的な窯元としては柿右衛門窯・今右衛門窯・源右衛門窯のほか、香蘭社・深川製磁などがある。

有田陶器市の写真

写真提供:有田商工会議所

有田陶器市 ( 佐賀県 有田町 )

1896(明治29)年に、深川栄左衛門と田代呈一の主催で陶磁器品評会が開かれたのがきっかけ。のちに、品評会と同時に開催されるようになった大売出しが陶器市のはじまりだ。現在は有田商工会議所が主催する。延々4kmに窯元、商社の店舗が並ぶ。陶磁器を山と積んで年に一度の蔵ざらえで人気を呼んでいる。4月29日~5月5日の会期中は、全国から...

武雄温泉の大衆浴場の写真

写真提供:武雄温泉(株)

武雄温泉の大衆浴場 ( 佐賀県 武雄市 )

温泉駅の西方、蓬莱山麓に湧く武雄温泉は「肥前風土記」にも登場し、神功皇后が三韓出兵の折に湯浴みしたと伝わる古湯。湯は弱アルカリ単純泉で、疲労回復・神経痛・筋肉痛・関節痛などに効能があるという。温泉街の中心には竜宮城のような朱塗の楼門が立ち、ひときわ目を引く。設計は東京駅舎などを手がけた辰野金吾で、国の重要文化財に指...

御船山のツツジの写真

御船山のツツジ ( 佐賀県 武雄市 )

御船山の南西麓にある。鍋島家の別荘跡で、その庭園は第28代藩主茂義が1852(嘉永5)年に京都より絵師を招いて計画を書かせ、3年の歳月を費して造園した。桜・ツツジ・藤・シャクナゲなどが見られる。ことに5万株(20万本)もあるツツジがピンクや白い花をつける4月末から5月にかけてがみごと。

川古のオオクスの写真

川古のオオクス ( 佐賀県 武雄市 )

市の北、若木町川古の日子神社にある。樹齢3,000年以上といわれ、樹高25m、根回り33m、枝張りは東西・南北27mもある巨木。幹の空洞に稲荷を祭る。国の天然記念物。

虹の松原の写真

虹の松原 ( 佐賀県 唐津市 )

松浦川口の東唐津から浜玉町玉島川尻まで、ゆるい弧を描く砂浜にクロマツがびっしりと根をはっている。幅400~700m、長さ約4.5kmにわたる広大な松原は、日本三大松原*のひとつで、玄海国定公園を代表する景勝地である。初代唐津藩主・寺沢志摩守広高が防風防潮林として植えたもので、現在約100万本。遠浅で波静かな海岸は絶好の海水浴場。

名護屋城の写真

写真提供:肥前名護屋城歴史ツーリズム協議会

名護屋城 ( 佐賀県 唐津市 )

名護屋城は豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に際して拠点とした城で、全国の諸大名が普請し1591(天正19)年10月からわずか6カ月で築城したと伝わる。唐津市の北西、小高い丘陵にあり、玄界灘を望む。名護屋城の周囲約3km以内に、全国各地から集まった名だたる戦国大名の陣屋が130以上も立ち、多いときには20万人以上の人口がいたという...

見帰りの滝のアジサイの写真

写真提供:一般社団法人 唐津観光協会

見帰りの滝のアジサイ ( 佐賀県 唐津市 )

相知町の北方、伊岐佐の山間にある落差約100mの滝で、アジサイと紅葉期の景観は絶景となる。標高887mの作礼山に源を発する伊岐佐川にあり、昔から川魚も多く生息し、アユ釣りができる。滝と下流の周辺に約50種・4万株のアジサイが植えられており、1988(昭和63)年以降、毎年6月に「見帰りの滝アジサイ祭り」が催される。  滝のすぐ側に駐...

唐津城の写真

唐津城 ( 佐賀県 唐津市 )

唐津藩主・寺沢広高が名護屋城の解体資材を用いて、1608(慶長13)年に完成した城。別名「舞鶴城」。代々譜代大名が入城したが、廃藩置県後は廃城となり、舞鶴公園となる。1966(昭和41)年、虹の松原を見下す小高い城跡に5層5階地下1階の天守閣が建てられ、唐津のシンボルとなっている。天守閣からは唐津湾の眺望がよく、公園内は桜・藤の名...

呼子朝市の写真

呼子朝市 ( 佐賀県 唐津市 )

玄界灘に面し、東松浦半島の北部に位置する唐津市呼子町。呼子港を中心として漁業が盛んで、港の近くには名物の朝市が立つ。江戸時代、漁師と農家が鯨肉や鮮魚、農産物を物々交換していたことが始まりとされる呼子の朝市。約200mある呼子朝市通りに、毎日30~50軒の露店や店舗が並ぶ。地元の民宿や食事処では活きのよい玄界の活魚料理が賞味...

唐津くんちの写真

写真提供:唐津市役所

唐津くんち ( 佐賀県 唐津市 )

唐津神社の秋季例祭で11月2日の宵曳山に始まり、3日の御旅所神幸、4日の翌日祭に終わる。唐津の地主神、唐津大明神の市中巡行に供奉して曳山が従うもので、むかしは傘鉾であったという。  現在の曳山が巡行するようになったのは1819(文政2)年からである。くんち当日は法被姿の若者達が笛・鐘・太鼓にのって、鯛・鳳凰丸・飛龍などの勇壮...

大浦の棚田の写真

大浦の棚田 ( 佐賀県 唐津市 )

1999(平成11)年7月に「日本の棚田百選」に選ばれた大浦の棚田は、大浦岡、大浦浜、満越の3集落にわたって広がる。棚田は石積み式。棚田枚数は、1960(昭和35)年頃は1,200枚をこえていたが、後継者不足や高齢化などによりその数は年々減少し、現在は約1,000枚ほどとなっている。棚田は、鎌倉時代から江戸時代にかけて築かれたもので、かつ...

呼子イカの活き造りの写真

呼子イカの活き造り ( 佐賀県 唐津市 )

呼子といえばイカ。玄界灘は対馬海流で育ったケンサキイカの好漁場で、多くの水揚げがある。透明度抜群の「イカの活き造り」を目当てに多くの人が訪れる。40年ほど前に、地元の料理店がイカの活き造りを出したのがきっかけとされる。それまでも刺身では出してはいたが、生きたままのイカをさばくことはしなかったという。呼子にある10数店舗...

多久聖廟の写真

多久聖廟 ( 佐賀県 多久市 )

JR多久駅の南4kmにある孔子廟。1699(元禄12)年、多久家4代茂文が東原庠舎を建てて孔子と四哲(四配)の像を祭り、1708(宝永5)年の完成を待って聖廟にこれらの像を移した。廟は朱塗で屋根は入母屋造、正面に唐破風の向拝をつけている。内外に動植物の彫刻を施した壮麗な建物で、中国様式を取り入れた日本建築である。

清水の滝の写真

清水の滝 ( 佐賀県 小城市 )

小城駅の北東約4km、嘉瀬川に流れ込む祇園川の支流、清水川の上流部にあり、別名「珠簾の滝」とも呼ばれる。うっそうと茂る木々の間に露出した茶色の岩壁から落下する。幅13m、落差75m。古くから信仰と結びついた滝で、滝水にうたれると病が平癒するといわれ、滝請に多くの参拝客が訪れる。

小城公園のサクラの写真

写真提供:小城市役所

小城公園のサクラ ( 佐賀県 小城市 )

小城駅の北300mにある。小城藩初代藩主・鍋島元茂と2代・直能が造った名庭園・自楽園と蛍川を公園に整備した。3月下旬には約3,000本の桜が、5月上旬には約2,500本のツツジ・藤が咲き誇り花見客の目を楽しませる。  小城公園自体は1875(明治8)年、佐賀県で最初の公園に指定された。園内には、小城藩主別邸跡や、7代藩主・直愈が建立した小...

祐徳稲荷神社の写真

写真提供:祐徳稲荷神社

祐徳稲荷神社 ( 佐賀県 鹿島市 )

日本三大稲荷の一つに数えられる九州屈指の神社。石壁山を背後にして本殿が立ち、広い境内に楼門・神楽殿・岩本社・石壁社・奥ノ院などが点在する。本殿は18mの舞台上に三方唐破風の屋根をつけた朱塗の絢燗たるもの。また楼門の随神像や装飾に有田焼が用いられている。本殿へのアプローチは、以前は階段のみだったが、近年、エレベーターも設...

浜庄津町浜金屋町の町並みの写真

浜庄津町浜金屋町の町並み ( 佐賀県 鹿島市 )

2006(平成18)年4月21日、肥前浜宿内の2地区が、国の「重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)」として同時選定を受けた。そのうちの1つが、ここ浜庄津町浜金屋町。浜川河口の右岸に位置し、長崎街道のひとつ多良海道が町の中央を通る。近世に鹿島藩の港町として、商人や船乗り、鍛冶屋等が住み発展。海道と小路が町のフレームを形成し、...

浜中町八本木宿の町並みの写真

浜中町八本木宿の町並み ( 佐賀県 鹿島市 )

江戸時代に長崎街道の脇街道である多良海道の宿場町として栄えた。また、多良岳山系の清水と佐賀平野の米に恵まれ、江戸中期頃から酒造が次第に盛んになり、江戸後期には10数軒の酒屋があった。現在も全国に銘酒を送り出す酒蔵が3蔵残る。旧多良海道は通称「酒蔵通り」と呼ばれ、醸造町として初めての重要伝統的建造物群保存地区の選定を受け...

有明海の魚料理の写真

写真提供:乾祐綺

有明海の魚料理 ( 佐賀県 佐賀市 / 佐賀県 白石町 / 佐賀県 鹿島市 / 佐賀県 太良町 )

有明海の干満の差は最大約6m。沖合5~7kmに渡って広大な干潟が出現する。熊本県、佐賀県、福岡県、長崎県にまたがる有明海には無数の河川が流れ込み、栄養豊富な海とされ、豊かな海の幸が育まれる。  珍しい魚介類が多いのも特徴で、ハゼ科のムツゴロウは、日本では有明海と八代海の一部にしか生息していない。食べ方としては蒲焼が一般的...

旧筑後川橋梁(筑後川昇開橋)の写真

旧筑後川橋梁(筑後川昇開橋) ( 佐賀県 佐賀市 )

有明海に注ぐ筑後川河口より約8.5km上流に位置する昇開式の可動橋。国鉄佐賀線の鉄道橋梁として建設され、1935(昭和10)年竣工、同年5月25日に開業。舟運に配慮し、中央部の橋が稼動して船が通れる構造になっている。竣工当時は「東洋一の可動式鉄橋」と呼ばれた。橋の全長は507.2m、可動部分の長さは24.2 m、昇降差は23 m。  国鉄の民営...

大和町巨石群の写真

大和町巨石群 ( 佐賀県 佐賀市 )

古くは、肥前風土記にも記された大和町下田山中の巨石群。10mをはるかに上回る巨石群は、肥前国一の宮として栄えた与止日女神社のご神体と考えられている。巨石のある山の麓は巨石パークとして市が管理している。釣り体験コーナー、多目的広場などもある。

佐賀インターナショナルバルーンフェスタの写真

佐賀インターナショナルバルーンフェスタ ( 佐賀県 佐賀市 )

毎年、10月下旬から11月上旬の5日間、世界各国から100機を超えるバルーンが参加する、アジア最大級の国際熱気球大会。佐賀市嘉瀬川河川敷が会場。動物などのキャラクターが巨大バルーンになって勢揃いする「バルーンファンタジア」や、夜の闇の中、バーナーで照らし出される「ラ・モンゴルフィエ・ノクチューン」など、見どころも多数。  1...

嘉瀬川の石井樋の写真

嘉瀬川の石井樋 ( 佐賀県 佐賀市 )

嘉瀬川は佐賀市三瀬の脊振山系に源を発し、神水川、名尾川などの支川を合わせながら山間部を流れ、途中多布施川を分派し、さらに下流で祇園川を合わせて佐賀平野を貫流し、有明海に注ぐ。一級河川。流域は佐賀市をはじめ3市。  佐賀平野は、干拓によって干潟から農地に変えるなどしてできた土地。佐賀平野での農業用水として活用されてきた...

吉野ヶ里遺跡の写真

吉野ヶ里遺跡 ( 佐賀県 吉野ヶ里町 / 佐賀県 神埼市 )

旧神埼町・旧三田川町、旧東脊振村の3つのエリアにまたがる国内最大規模を誇る弥生時代の環濠集落跡。1986(昭和61)年から発掘調査が行われ、「魏志倭人伝」に記された邪馬台国を彷彿とさせるということで全国の注目を集めた。周囲を外壕に囲まれた遺跡の面積は、約40万m2。450を超える竪穴住居跡や甕棺墓列、集落のリーダーたち...

塩田津の町並みの写真

塩田津の町並み ( 佐賀県 嬉野市 )

長崎街道の宿場町として、また有明海の干満の差を利用して発達した川港として栄えた塩田津。江戸時代には佐賀藩の支藩である蓮池藩・西目の政治の中心地でもあった。江戸期後半から火災に強い漆喰造りの「居蔵家」と呼ばれる大型町屋ができ重厚な町並みが形成された。2005(平成17)年に重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

佐賀元祖忍者村 肥前夢街道の写真

写真提供:佐賀元祖忍者村 肥前夢街道

佐賀元祖忍者村 肥前夢街道 ( 佐賀県 嬉野市 )

嬉野温泉街の東部に広がる。面積約7万m2に、江戸時代の長崎街道の町並みや風物を、時代考証に基づいて再現。園路に沿って、関所、代官所、本陣、忍者屋敷、からくり時計台、旅籠、芝居小屋などが次々に出現する。園内では大道芸人が妙技を披露し、当時の扮装をした案内人などが、江戸情緒を演出している。「はがくれ忍者屋敷」は、...

大興善寺の写真

大興善寺 ( 佐賀県 基山町 )

JR基山駅の北西4kmにある。717(養老元)年の開山で、のち円仁が中興して栄えた。境内には約5万本のツツジがあって、「つつじ寺」とも呼ばれ4月中~5月中旬がツツジの見頃である。  6月はアジサイ、新緑が美しい。また、11月中旬から下旬にかけて500本のもみじの紅葉も風情がある。

大川内山(伊万里焼)の写真

大川内山(伊万里焼) ( 佐賀県 伊万里市 )

市南部の大川内山は1675(延宝3)年に有田南川原山から鍋島藩の御用窯が移されて以来、明治時代まで色鍋島・鍋島青磁などが焼かれていたところである。今日、個人窯がその技術を受け継いでいるが、御用窯時代の関所跡、登窯跡、陶工の墓なども残っている。大川内山のレンガ造の煙突や磁器の破片の落ちた小道には窯元の町の雰囲気がある。  ...